家の中の南極地帯

「お風呂が沸きました」とNORITZ湯沸かし器から知らせがあったので、いそいそと全裸で浴槽に向かった。
こんな寒い日はやっぱ風呂だよね〜などと至福を予感しながら風呂の蓋を開けてみると、しかしそこに風呂は沸いていなかった。
ただ空っぽの渇いた浴槽が、むき出しの肌をさらしているばかりであった。
さっきの「お風呂が沸きました」、あれは・・・嘘?
いいや、自分が浴槽の栓を忘れたのである。
栓なき排水溝からは湯気が立ち上り、本来であれば浴槽を満たすはずの温かい湯が、ただ温められ、無駄に流れていったその過去を告げていた。
寒くてどうにもならないのでとりあえず服を着ることにした。
洗濯機から、さっき脱いだパンツ、トレーナーなどを再び取り出そうとしてみたらば、あんためっちゃつめたいやんけ!
洗濯機の中に昨日から入っていた使用済みタオルの上に置かれたそれら衣服は、じっとりと濡れており、もはや着用を許さなかった。ほんの数分前まで、私を暖かく包んでいたあの衣服たちが。
悔やまれる。時間は戻らない。
至急、あたらしい衣服を調達してこようと思い、ふと立ち止まった。
風呂に入らないままであたらしい服を着たとする。それを風呂上がりにも着たとする。すると、せっかく洗濯したばかりの清潔な服はもはや清潔ではなくなってしまい、同時にせっかく洗った清潔な体も清潔ではなくなってしまう。
凍えるような寒さのなか、私はわずかに立ち上る湯気を心の支えにさまざまな思いを巡らした。
一つの名案が浮かんだ。
今すぐ浴槽の栓をして、浴槽にはいりスイッチをオンにして、湯が溜まるのを待つ。そうすれば、少しずつ溜まる湯と湯気が私をあたため、もはや服を着る必要はなくなりエネルギー、および時間の無駄は最小限に抑えられる。
これしかないだろう。
私は急いで浴槽をまたぎ、同時にスイッチをオンにした。すると温かい湯がただちに勢いよく飛び出しはじめた。
それからふと、なんか、贅沢かな?と思った。
このまま、本来の位置まで湯を溜めたとすれば自分一人のために、1日で2回分もの湯を使ってしまうことになる。 そんな贅沢が、許されるだろうか?
いいや、自分は低所得者である。その自分が、そんなに大量の湯を使うことがゆるされていいのか?
私は湯量パネルを180リットルから100リットルに変更した。 NORITZ湯沸かし器が冷たい声で「お風呂の量が変更されました」と告げた。
果たして、100リットルは思いの外少なく、ようやく温まった浴槽に尻をつけてみると臍の上ほどまでしかなかった。
私はとにかく湯に全身が浸るようにと工夫を凝らし、限界まで体勢を後方に傾けてゆき足を折り曲げて浴槽に寝ているような状態になった。
あ〜なんか、この感じ知ってる。ズンドコドコズンドコドコドコって思い出すのはリンボーダンスのことで、まさか40になろうとしている女が浴槽内でリンボーダンスをすることになるとは なんと因果なことかしらとなお凍える。
私は未だかつてなく平らく薄かった。

屋根があり暖房があり、湯がはれる風呂をもちながら、依然私は凍えている。家の中の風呂場の中で。
文明って、なんだろう?
ぬかりのない注意深さ、あるいは無駄にする勇気。そのどちらかをもたずして享受することはできない豊かさ。
どっちかだけでも手に入れたいなぁ明日こそは。そんな、ことを思う真冬の夜。